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「お歯黒に関しての一考察!」

こんにちは
東京都 墨田区 東駒形の 歯医者
「医療法人社団 長岡会 長岡歯科医院/長岡インプラント研究所」理事長 長岡博司です。
いつもコラムをお読みいただきありがとうございます

ジャガジャーン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーーーン♪



私がまだ幼少期の頃、お侍さんが登場する時代劇を家族で「かっこいいなー」とTVで観ていると、女の方の口元の歯が真っ黒になっていて、私はいつもの通り、何でも知っている父に聞きました。 

「なんで、この人、歯が黒いの?」

すると、父がまた質問がキタ〜と、身構えました。

そして間髪入れず、

「虫歯にならないために保護しているんだよ」と、答えてくれました。

父は、安堵し、今日の質問は、以外とアッサリしていたなぁと、まぁ、子供の質問だから可愛いもんだなぁ、と含み笑いを浮かべながら、徐々に満面の笑みに変わりました。  

父親として、今日は、ハッキリと正しく答えた自分を誇らしげにしていたのも束の間、

私は、もう一つ、質問しました。

父は、今日は、ダブル攻撃で、矢継ぎ早に2つあるのかという顔をしてました。  

しかし、今日の自分は、絶好調だから、何でも答える余裕で自信に満ち溢れてました。

父に投げかけられた2つ目の質問とは?

「何で、今の自分達は、歯を黒くしないの?黒くすれば虫歯にならないんでしょ?」でした。

難解で答えにくい質問に対して、父の顔が歪み、焦りながら、その瞬間、父の顔が予想だにしない我が子の質問に、ゴクリと唾を飲み込み深呼吸して、自分を落ち着かせようとしているのを、家族一同、見逃しませんでした。

TVが放映されているにも関わらず、そんなの無視で、父は静かに目を閉じて、天を仰ぎ、答える迄の数秒の間、お地蔵さんのように固まり、口を真一文字にして、


その答えは

「時代が変わったんじゃないかな!」と甲高い声になり、真剣な眼差しで、それこそサムライのような表情で、必死に答えてくれました。  

しかしながら、その場にいた家族全員が心の中で、「えっ?!」と思ったと思います。

そうしたら、母が場の空気を和やかにするように一言!

「現代の人がちょんまげをしてない様なものだよ」と!

ちょんまげに洋服?イメージ図?



私は、その時「自分の髪型がちょんまげだったら、カッコ悪いなぁ、洋服とちょんまげは、変だなぁ」と思い、思わず笑ってしまいました。

「洋服にちょんまげ?」が歯科医師会の旅行のような、こんなイメージだったかはさておき、家族皆んなで、大笑いし、サザエさんの家族みたいになってました。

※サンプル画像友情出演⭐️歯科医師会の先生方

では、皆さんには詳しく答えを

コラムを読んでいて、私同様に「何で、今の自分達は、歯を黒くしないの?黒くすれば虫歯にならないんでしょ???」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ここからは「お歯黒」について詳しくご説明いたします。


私は、日本歯学史学会会員で、以前、掲載しました、学生時代の話しで、その時に日本大学松戸歯学部の麻酔学の教授であられた谷津三雄先生が、歯科医学の歴史を探求、研究されていらした影響で、私も興味がありまして、自分の一生の生涯やり続ける仕事の歴史、先人の大先輩の方々のご苦労され試行錯誤され頑張られた歴史に興味があり、会員をさせて頂いてます。

お歯黒について

そこで本題の「お歯黒」の話しに関してなんですが、お歯黒とは名称で、正式には、「鉄漿(かね)」と言います。

その他の別称で「ハグロミ」、「ハゴネ」などがあります。

歴史は古く奈良時代から

お歯黒は明治初期まで続いた女性の習慣です。

黒い鉄の液体を歯面に塗布し、歯を染めていきます。

歴史は古く、奈良時代に朝鮮半島から伝わりました。

平安時代には、貴族の上流階級に広がり、女性だけでなく男女共にしていた時代がありました。

17歳から18歳で、歯を黒くして成人であることを示していました。

時代とともに、お歯黒をする年齢が下がり、室町時代には、13歳ころで、戦国時代には、8歳でしていました。

その時代その時代の平均寿命から考えますと、早めに成人になった事を表す上でも必要だったのかもしれません。

江戸時代になりますと、既婚した女性の象徴になりました。

黒色は、何にも染まらない色なので、貞操を示し、既婚女性としての貞操を誇張していたようです。

時が経ち、女性特有のものになっていきました。

一般庶民に広がってからは、人生の大きな転機である結婚を機にお歯黒を行うようになりました。

明治時代になり、明治政府は、フランスやイギリスなどのような西欧化を目指し、ヨーロッパの人々から、お歯黒を野蛮な風習として見られたくなくて、お歯黒禁止令を3回(1868年、1870年、1873年)発令しました。

明治政府の文明開化による近代化政策により、帯刀やちょんまげの廃止、禁止ともに、お歯黒も衰退していきました。

お歯黒の女性には歯医者はいらない?

大正時代には、ほぼ終焉し、大正時代の北陸の農村部では、「お歯黒の女性には、歯医者はいらない」と言い伝えられていました。

古い塚やお墓から掘り起こされたお歯黒を塗った歯には、虫歯がほとんど無く、仮に虫歯があっても進行が停止していて、予防する効果、進行を抑制する効果、知覚を鈍麻する効果などがありました。

当時は歯が黒く輝いているほど、美人?

エナメル質は、なかなか染色しにくく、数年かかり徐々に黒くなるため、歯が黒く輝いているほど、美人とされていました。現代は、歯を白くするホワイトニングがあるくらいですから、時代で価値観は変わるということですね。

お歯黒の歯には、虫歯が少なく、歯槽膿漏も少なく、痛みも起こりにくいので、先程の北陸の農村部の言い伝えに繋がったと思われます。

お歯黒は何で出来ているの?

さて、こんなに「効果があったお歯黒」何で出来ているんだろう?と気になってきている方もいるのではないでしょうか。

お歯黒の材料は、植物のタンニン(渋)を主成分とする「ふし粉」酢酸第一鉄を主成分とする「鉄漿水」(かねみず)からなり、お歯黒筆や房楊枝で塗布していました。こんな道具箱もあったそうです。

歯に塗るとエナメル質が酸に溶けるのを防止し、虫歯が出来にくくなりました。

また、新婦は、毎朝、清掃と塗布を繰り返し行い、このような努力が虫歯予防に貢献したと考えられます。

お歯黒が世界における予防歯科のはじまり?

タンニン(渋)は、歯のタンパク質に作用し固定し細菌による溶解を防止し、酢酸第一鉄は、リン酸カルシウム作用をして、耐酸性を高めました。

さらに、空気で酸化され生成された第二鉄がタンニンと結合し、タンニン酸第二鉄の緻密な膜となり、表面を覆い細菌から保護しました。

また、タンニン(渋)には、歯や歯肉のタンパク質を凝固、収斂させ、細菌から守る作用があります。

酢酸第一鉄の主成分である第一鉄イオンには、エナメル質の主体であるハイドロキシアパタイトを強化して耐酸性を上げる効果があります。

お歯黒という予防歯科材料は、有機質、無機質の両サイドから、歯を守っていたわけで、当時の欧米では、まだ発見されていなく、我々日本人の先人、祖先が奈良時代から予防歯科材料を開発し、実践してきた事は、特筆されるべき事だと思います。

お歯黒は現代にて応用されている

予防歯科材料で1970年(昭和45年)から使用されている「フッ化ジアミン銀製剤」とは、まさにお歯黒をもとに開発されたものです。

※皆さんがよくご存知の「フッ素」ではありません。

また、歯科用合着セメントにも応用されています。

時代劇でも最近見かけないお歯黒を見る方法は?

江戸時代の浮世絵師の歌川広重先生の作品に、お歯黒をされた人の絵画を観ますと、上唇と下唇の間から、少しだけ黒色の部分か見えます。

これがお歯黒です。

ちなみに、歌川広重先生は、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた凄い方です。

私が幼少期に質問し、家族が心の中で「え?」と思った父の解答「時代が変わったんじゃないかな!」は上記を要約したものでした。

※私が子供の時に観た「お歯黒の時代劇の作品」は覚えておりません。今回は父も私も大好きな「松平健さん主演、暴れん坊将軍」を挿し絵に使用させて頂きました。
※コラムを彩る画像はお借りいたしました。

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